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坂本龍一の死去と闘病の経緯:最期の日々と生前最後に遺したメッセージの全貌

早瀬 結衣 早瀬 結衣 • 更新: • 公開: • 読了約 8 分
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2023年3月28日、日本の音楽界のみならず世界の芸術シーンに多大な影響を与えた作曲家・ピアニストの坂本龍一がこの世を去りました。愛称である「教授」の愛称で親しまれ、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)としての世界的ブレイクからアカデミー作曲賞の受賞、そして晩年に至るまで、常に時代を先駆ける音楽を創造し続けたその生涯。本記事では、公式記録や遺族の証言、関係者のインタビューなどを基に、がんと闘い続けた晩年の活動、最期の日々の克明な様子、そして彼が遺した音楽とメッセージの真実に迫ります。

坂本龍一のプロフィールと輝かしい音楽キャリアの軌跡

坂本龍一死去

坂本龍一は1952年東京都出身。クラシック音楽を根幹に持ちながら、民俗音楽やテクノポップなど多彩なジャンルを融合させ独自の音楽性を築き上げました。1978年に細野晴臣、高橋幸宏とともにYMOを結成し、世界的なテクノポップブームを巻き起こします。ソロ活動に移行後も映画音楽の分野で圧倒的な才能を発揮し、1987年には映画『ラストエンペラー』の音楽で日本人初となるアカデミー作曲賞を受賞しました。

また、1999年にはマキシシングル『ウラBTTB』に収録された「エナジー・フロー」がインストゥルメンタルとして初のオリコンチャート1位を獲得し、ミリオンセラーを記録するなど、大衆音楽の枠を超えた社会的現象を巻き起こしました。音楽活動のみならず、環境問題や平和活動、東日本大震災の復興支援など、社会的なメッセージを発信する公益活動家としても精力的に活動を行いました。

時期・年 主な出来事・活動実績 備考・代表作
1952年 東京都にて出生 幼少期からピアノや作曲を学ぶ
1978年 YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)結成 『テクノポリス』『RYDEEN』など世界的ヒット
1987年 映画『ラストエンペラー』音楽を担当 日本人初のアカデミー作曲賞を受賞
1999年 シングル『ウラBTTB』リリース 「エナジー・フロー」がミリオンセラーを記録
2022年〜2023年 闘病と最後の演奏活動 『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』

がんと向き合った闘病の経緯とステージ4の公表

坂本龍一は、生涯を通じて何度か大きな病と向き合ってきました。2014年には中咽頭がんの診断を受け、治療のために一時音楽活動を休止しましたが、懸命な治療の末に寛解を告げられました。しかし、2021年1月には直腸がんが見つかり、複数回にわたる大がかりな手術を経験することになります。

同年6月には、がんが両肺に転移した「ステージ4」の状況であることを公表しました。主治医や医療スタッフと相談を重ねる中で、抗がん剤治療についてはピアノやキーボードの演奏に支障を及ぼす副作用が生じる薬剤の使用を頑として拒否するなど、音楽家としてのアイデンティティと表現力を最後まで守り抜く強い意志を貫いたことが伝えられています。

最後の公の場と『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』の背景

体力の低下から長時間のコンサートをやり切ることが困難になった坂本でしたが、音楽を届けたいという情熱が衰えることはありませんでした。2022年3月には、東日本大震災の被災地の子どもたちで構成される『東北ユースオーケストラ』の演奏会に登場。新曲『いま時間が傾いて』を初演し、これが公の場における最後の生演奏となりました。

同年9月には、NHK放送センターのスタジオにて、ピアノのソロ演奏の撮影が行われました。長時間の演奏が難しいため、1日数曲ずつ撮影・編集しコンサート形式に仕立てるという手法が取られ、映像作家である次男の空音央が監督を務めました。同年12月11日に世界配信されたオンラインコンサート「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022」は、世界中のファンに深い感動を与え、結果としてこれが最後の演奏姿となりました。

死去に至る最期の日々と遺族・関係者が見守った日々

療養を続けていた東京の自宅にて、2023年3月20日深夜、発熱及び呼吸困難(血中酸素濃度の急激な低下)により救急搬送されました。病院での治療が行われたものの快方に向かうことはなく、同月24日に本人からターミナルケア(緩和ケア)の希望が伝えられました。

翌25日には4人の子供たちが病院に集まり(長男は海外からオンラインにて参加)、生涯最後となる対面を果たしました。26日には前述の東北ユースオーケストラ演奏会をオンラインで観賞。27日には意識低下し昏睡状態に陥りましたが、臨終の1時間前には意識がない状態の中でも右手がピアノを弾くかのように動いていたというエピソードが、後に遺族の取材協力によるドキュメンタリー番組等で明らかにされています。

晩年の音楽活動と生前最後に遺したメッセージの真意

晩年の坂本龍一は、自身の身体の限界を静かに受け入れながらも、最期まで社会や未来の世代へ向けてメッセージを発信し続けました。環境問題や平和への願い、そして音楽がいかに人々の心をつなぐことができるかという信念は、多くのプロジェクトやインタビューを通じて残されています。

「芸術は長きに人生は短し」という言葉を体現するかのように、病魔と闘いながらも音を紡ぎ続けたその姿勢は、音楽関係者だけでなく、生き方に悩む多くの人々に強い勇気を与えました。彼が遺した楽曲やプロジェクト、そして東北ユースオーケストラをはじめとする若者たちへの支援の遺志は、現在も多くの人々に受け継がれています。

【坂本龍一死去】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:坂本龍一が亡くなったのはいつですか?また死因は何ですか?
A1:2023年3月28日に亡くなられました。直腸がんおよび肺転移などによる闘病の末の永眠であることが公表されています。

Q2:生前最後となった演奏や公の場への登場はいつですか?
A1:生演奏としては2022年3月の『東北ユースオーケストラ演奏会2022』が最後であり、映像作品としては同年12月に世界配信されたオンラインコンサート『Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022』が最後の姿となりました。

Q3:坂本龍一の音楽や遺志は現在どのように引き継がれていますか?
A1:遺された数々の名曲や映画音楽のほか、東北ユースオーケストラを通じた次世代の育成活動、環境・平和に関するメッセージなど、多方面においてその精神と功績が後進に受け継がれています。

坂本龍一の死去は世界中に大きな悲しみをもたらしましたが、彼が最期まで音楽に向き合い続けた姿勢と、人類や自然環境に向けた深い洞察は、時代を超えて色褪せることはありません。その生涯と残された作品群は、私たちがどのように生き、どのように表現に向き合うべきかを示す普遍的な指針であり続けています。今後もその功績は、多くの人々の心の中で鳴り響き続けるでしょう。

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コンテンツディレクター 早瀬 結衣
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