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上野恩賜公園の西郷隆盛像の歴史と妻・糸子の本音を徹底解説

白石 澪 白石 澪 • 更新: • 公開: • 読了約 9 分
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東京・上野恩賜公園のシンボルとして、国内外の観光客から長年愛され続けている西郷隆盛像。明治時代に多くの人々の寄付によって建立されたこの銅像には、実はあまり知られていない波乱の歴史や、除幕式当日に起きたユニークなエピソードが隠されています。特に、妻である糸子が放った一言や、当時の常識を覆す「着流し」の姿になった背景は、今なお語り草となっている歴史的トピックです。

本記事では、公式記録や信頼できる史料に基づき、上野の西郷隆盛像にまつわる建立の経緯や、鹿児島にあるもう一つの像との違いなどを徹底的に紐解いていきます。当時の人々の本音や銅像制作の裏側に迫り、観光スポットとしての魅力や知られざる真実をわかりやすく解説します。

上野恩賜公園の西郷隆盛像とは?建立の歴史と背景

西郷隆盛像上野

上野恩賜公園の一角に堂々と佇む西郷隆盛像は、東京を代表する観光スポットの一つとして広く知られています。この銅像の建立は、日本の近代化に多大な影響を与えた西郷隆盛(1828年〜1877年)の功績を後世に伝え、その精神を顕彰することを目的として計画されました。明治時代中期、多くの発起人や一般市民からの醵金(寄付金)が集められ、当時の技術と情熱を結集して作られた歴史的建造物です。

当時の上野公園は、東京における近代的な都市公園として整備が進められていた時期であり、その象徴的なモニュメントとして西郷像の設置場所が選ばれました。全国から寄せられた浄財によって支えられたこのプロジェクトは、単なる一武人の記念碑にとどまらず、明治という激動の時代を駆け抜けた人々が故人を偲ぶ大きな心のよりどころとなりました。現在でも上野恩賜公園を訪れる多くの観光客が足を止め、その威厳ある姿にカメラを向けています。

妻・糸子が除幕式で「うちの夫はこんな人ではない」と不満を漏らした理由

1898年に執り行われた盛大な除幕式では、関係者や多数の市民が参列し、銅像の完成を祝いました。しかし、その晴れやかな場の裏側で、妻である糸子の反応は一般の期待とは少し異なるものでした。公式記録や伝えられるエピソードによると、糸子は銅像の姿を見るなり「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてぇ(うちの夫はこんな人ではなかったですよ)」と不満を漏らしたとされています。

当時、武士や高官の公式な銅像といえば、軍服をまとい、勲章をつけた威儀を正した姿が一般的でした。しかし、上野の西郷像がまとっていたのは、普段着に近い「着流し」のスタイルであり、愛犬を連れたリラックスした散歩姿でした。当時の厳格な社会的感覚からすれば、人前に堂々とさらすような格好ではないと映ったため、妻として戸惑いや不満を覚えるのは自然なことでした。

この発言を聞いた義弟の西郷従道は、「あの銅像は多くの人々が醵金して建てて下さったものだから、西郷家の者がかれこれ文句がましいことを言ってはなり申さん」と糸子をたしなめました。それでも糸子は「あんな着流しの姿を皆様の大勢見なさる所にわざわざ建てて…」となかなか納得しなかったと言い伝えられており、公式のイメージと家族が知る素顔のギャップを物語る興味深い逸話となっています。

なぜ「着流し」の姿になったのか?制作の経緯と彫刻家の意図

なぜ西郷隆盛像は、軍服ではなくあえて「着流し」の姿で表現されたのでしょうか。その背景には、銅像の制作を手がけた彫刻家や関係者たちの強いこだわりがありました。西郷隆盛は晩年、故郷の鹿児島に帰郷してからは狩りや温泉を愛し、装飾を嫌う飾らない人柄として親しまれていました。気取らない日常の姿こそが、民衆に愛された西郷の本質を最もよく表しているという判断があったためです。

制作にあたっては、細部の描写やポーズについて様々な議論が交わされましたが、最終的には親しみやすさと人間味を重視したデザインが採用されました。犬を連れて散歩する姿は、権威主義的なモニュメントとは一線を画し、多くの庶民に愛された「西郷どん」の親しみやすいキャラクターを後世に伝えるための見事な演出となりました。この独自の造形アプローチは、当時の彫刻界においても非常に画期的な試みでした。

上野像と鹿児島像の違いとは?全国に広がる西郷像の系譜

西郷隆盛の銅像といえば上野恩賜公園のものが非常に有名ですが、実は故郷である鹿児島県をはじめ、日本国内には複数の西郷像が存在します。それぞれの像には建立された背景やデザインに明確な違いがあり、比較してみると非常に興味深い歴史が見えてきます。

像の名称・設置場所 建立年・背景 主な特徴とデザイン
上野の西郷隆盛像(東京都台東区) 1898年建立。
全国からの醵金によって民衆の手で建てられた。
愛犬「ツン」を連れた着流し姿。親しみやすさと日常の自然な姿を重視。
鹿児島空港の西郷像(鹿児島県霧島市) 1988年除幕式。
古賀忠雄の遺志を継ぎ、南日本新聞の報道を契機に建立。
海上輸送を経て鹿児島空港近くに設置。郷土の英雄としての誇りを象徴。
鹿児島市内の西郷隆盛銅像(鹿児島県鹿児島市) 1937年建立。
鹿児島市制50周年を記念して制作。
陸軍大将の正装(軍服姿)。威厳と統率力を強調した本格的な軍人像。

鹿児島市内にある銅像が陸軍大将としての正装(軍服姿)で凛々しく立っているのに対し、上野の像は日常の一コマを切り取ったようなリラックスした着流し姿となっています。また、1987年に古賀忠雄の長男で彫刻家の古賀晟による遺作展の報道をきっかけとして、1988年8月28日に鹿児島空港近くに新たに建立された像などもあり、それぞれの像が異なる文脈とドラマを持って人々に親しまれています。

上野恩賜公園の周辺観光スポットとあわせて楽しむ見どころ

西郷隆盛像が鎮座する上野恩賜公園は、東京観光のメインストリートとしても非常に人気の高いエリアです。銅像を見学した後は、周辺にある数多くの文化施設や自然豊かなスポットをあわせて巡ることで、より充実した散策を楽しむことができます。

公園内には、東京国立博物館や国立科学博物館、東京都美術館といった日本を代表する最高峰のミュージアムが立ち並び、一日中知的な刺激を受けることができます。また、春の桜の名所としても名高い不忍池でのボート遊びや、子どもから大人まで楽しめる上野動物園など、多様な魅力がコンパクトにまとまっています。歴史を感じるモニュメントを起点に、下町の風情と現代の文化が融合した上野の街をゆっくりと歩いてみるのがおすすめです。

【西郷隆盛像上野】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:上野の西郷隆盛像が連れている犬の名前は何ですか?
A1:連れている犬の名前は「ツン」です。薩摩犬の一種であり、西郷隆盛が愛用した猟犬として歴史に名を残しています。

Q2:上野の西郷隆盛像は誰によって作られたのですか?
A2:彫刻家の高村光雲が中心となって制作されました。顔の造形などには遺族の証言や残された写真などが参考にされています。

Q3:鹿児島にある西郷像と上野の像で服装が違うのはなぜですか?
A3:上野の像は民衆に親しまれた自然体の姿(着流し)を表現しているのに対し、鹿児島市内の像は公式な陸軍大将としての軍服姿で威厳を強調しているためです。

上野恩賜公園の西郷隆盛像は、単なる歴史的記念碑にとどまらず、建立当時の人々の熱意や、家族が抱いたリアルな本音、そして彫刻家たちの芸術的なこだわりが詰まった貴重な文化遺産です。妻・糸子が漏らした不満のエピソードや、着流し姿という異例のデザインの背景を知ることで、目の前にある銅像の見え方も大きく変わってくるはずです。

2026年現在も、上野のシンボルとして多くの人々を温かく見守り続ける西郷像。次にこの地を訪れる際は、ぜひ当時の人々が描いた歴史のドラマや、鹿児島にある他の像との違いに思いを馳せながら、ゆっくりとその姿を眺めてみてください。

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白石 澪
デジタルマーケター 白石 澪
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アイドルグループと音楽シーンの取材を担当。公式サイトのスケジュール、リリース情報、 Billboard JAPAN などの公開チャートを照合してから記事を構成します。

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